特健俟斤
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隋の大業元年(605年)、鉄勒諸部は西突厥の泥撅処羅可汗(在位:603年頃 - 612年)の攻撃を受け、特に薛延陀部にいたっては叛乱の疑いがあるとして渠帥など数百人が生き埋めにさせられた。そこで韋紇部は僕骨部・同羅部・抜野古部・覆羅部などとともに西突厥の支配から脱して回紇部と号し、鉄勒諸部の部族長はみな俟斤(イルキン)を称した。このとき、回紇の部衆は特健を推戴して回紇部の俟斤(イルキン:部族長)とした。
特健には菩薩という息子がいたが、あまりにも優秀であったため、特健よりも彼に部衆が附くようになった。そのため特健は菩薩を回紇部から追放してしまう。
特健が死ぬと、部衆は菩薩を呼び戻して俟斤に推戴した。