犬尾城
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星野川の北側、標高約180メートルの南向きの尾根上に築かれた。本丸は南北32メートル、東西9メートルでその西側に二の丸があった。本丸と二の丸の間には堀切、本丸北側には土塁が存在した。当城の東と南に、それぞれ支城として茶臼山城、鷹尾城が築かれている。城主の居館は南麓にあった。
建久2年(1191年)に猫尾城主・黒木助能の嫡男の河崎貞宗によって築かれた。その後、代々城主を務めた河崎氏は大友氏に属したが、永正16年(1519年)と大永5年(1525年)の2度にわたり反抗している。天正8年(1579年)には龍造寺隆信に攻められて落城したが、その後は島津氏に属し、城主・河崎鎮堯(鎮則)が当城を修築している。天正15年(1587年)の九州征伐で豊臣秀吉に抵抗して敗れ、当城は廃城となった。
