狐塚古墳 (京都市)
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| 狐塚古墳 | |
|---|---|
|
墳丘・石室開口部 | |
| 別名 | 大覚寺4号墳 |
| 所属 | 大覚寺古墳群 |
| 所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前堂ノ前町10-1,4 |
| 位置 | 北緯35度1分26.17秒 東経135度40分54.70秒 / 北緯35.0239361度 東経135.6818611度座標: 北緯35度1分26.17秒 東経135度40分54.70秒 / 北緯35.0239361度 東経135.6818611度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径28m 高さ4.5m |
| 埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
| 出土品 | 須恵器 |
| 築造時期 | 7世紀初頭-前半 |
| 史跡 | なし |
| 地図 | |
狐塚古墳(きつねづかこふん、大覚寺4号墳)は、京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前堂ノ前町にある古墳。形状は円墳。大覚寺古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
| 順 | 古墳名 | 墳丘 | 築造時期 | 陵墓・史跡 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1号墳 (円山古墳) | 円墳 | 直径50m | 6c後半 | 陵墓参考地 |
| 2 | 3号墳 (南天塚古墳) | 円墳 | 6c後半-末 | (埋没) | |
| 3 | 4号墳 (狐塚古墳) | 円墳 | 直径28m | 7c初頭-前半 | なし |
| 2号墳 (入道塚古墳) | 方墳 | 25×30m | 陵墓参考地 | ||

京都盆地(山城盆地)西部の有栖川扇状地に築造された古墳である。一帯では4基の古墳が分布して大覚寺古墳群を形成し、本古墳はそのうち最南端に位置する。古くから石室が開口し、墳丘周囲裾部は削平されて宅地化が進んでいる。1970年(昭和45年)に測量調査が、2014年度(平成26年度)以降に測量・発掘調査が実施されている。
墳形は円形で(ただし方形の可能性も残る[3])、直径28メートル・高さ4.5メートルを測る[1]。墳丘周囲には周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては直径45メートル以上と推定される[3]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。チャート自然石の巨石を用いて構築された石室になる。副葬品は明らかでないが、墳丘南側(石室前面裾)の発掘調査では須恵器片(坏身・坏蓋・高坏:TK43-209型式期)が出土している[4]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀初頭-前半頃と推定される[2]。
現在では石室内への立ち入りは制限されている。
遺跡歴
- 少なくとも近世期には開口(土師器皿の出土)[1]。
- 1936年(昭和11年)まで、石室開口部前面に稲荷社の祠が所在[1]。
- 1970年(昭和45年)、墳丘測量・石室実測調査:第1次調査(京都大学考古学研究室、1971年に報告)。
- 2014年度(平成26年度)、石室実測および羨道・前庭部の発掘調査:第2次調査(龍谷大学文学部考古学研究室、2016年に報告)[1]。
- 2015年度(平成27年度)、墳丘測量調査:第3次調査。方墳の可能性を示唆(龍谷大学文学部考古学研究室、2017年に報告)[5]。
- 2016年度(平成28年度)、墳丘東側の発掘調査:第4次調査(龍谷大学文学部考古学研究室、2018年に報告)[6]。
- 2018年度(平成30年度)、墳丘南側の発掘調査:第5次調査。須恵器片の出土(龍谷大学文学部考古学研究室、2020年に報告)[4]。
- 2020年度(令和2年度)、墳丘周辺試掘調査(京都市文化財保護課、2022年に報告)[3]。
埋葬施設
埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:現存6.8メートル
- 玄室:長さ3.8メートル、幅2.0-2.4メートル、現在高さ2.1-2.3メートル
- 羨道:現存長さ3.0メートル、幅1.5メートル、現在高さ1.2メートル
石室の石材はチャートで(一部の小型石材に砂岩等)、自然石を使用して構築される。玄室の奥壁は各段1石の3段積みであるが、1段目は土砂の堆積のため詳らかとせず、3段目はやや持ち送る。側壁は各段2石の3段積みと推定されるが、奥壁同様に1段目は土砂の堆積のため詳らかとしない。縦目地・横目地を意識した様子はあまり見受けられず、隙間には小型石材を充填する。前壁は持ち送らず垂直に積む。玄門部の立柱石は1石。羨道は土砂の堆積のため詳らかとしない[1]。
