狩野元仙の長男として生まれる。宝暦5年(1755年)9歳で父が亡くなり、駿河台狩野家を継ぐ。絵は、父の門人で福岡藩江戸詰め絵師だった石里洞秀(父)に学ぶ。明和元年(1764年)朝鮮通信使へ贈る朝鮮贈呈屏風一双の制作を手がけ、天明5年(1785年)家業に励んだ功績で法眼に叙された。これにより家格が上昇したらしく、帯刀が許され、奥絵師の鍛冶橋狩野家と同等、一時は上席になることもあったという[2][3]。奥絵師筆頭格だった狩野典信の娘と結婚し、跡継ぎの狩野愛信が生まれる。寛政9年(1797年)死去。享年51。墓所は多磨霊園(護国寺から改葬)。