明治期に秋田県百宅村(現・由利本荘市)の池田与八(芸名・吉田若丸)により、文楽などに独自の工夫を加えて創始された。池田の弟子の真坂藤吉(芸名・吉田勝若)の出生地猿倉(現・由利本荘市)から、猿倉人形芝居の名で呼ばれるようになった[1]。
明治末期から昭和初期までは、東京をはじめ全国を巡業するほど人気を博す。秋田県内では木内勇吉一座、吉田千代勝一座、鈴木栄太郎一座の3座が現存[1]している。
1974年、上記3座が秋田県無形民俗文化財に指定[1]。
1996年11月28日、文化庁から記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択される[2]。