玄基栄
韓国の小説家
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略歴
1941年、済州島済州市に生まれる。玄は幼い頃より済州島で育った。1945年8月、朝鮮は解放を迎えるや、すぐに李承晩の率いる資本主義派と金日成の率いる共産主義派が激しく対立した。済州島はその中で共産派を支持するパルチザンが立てこもり、1948年には四・三事件が起きるなど、幼い玄にとって済州島での暮らしは辛いものであった。
1967年ソウル大学校師範大学英語教育学科を卒業する。卒業後は光新中学校やソウル大学校師範大学付属中学校などで20余年間英語教師を務める。教師生活の傍ら文筆修業を行い、1975年、「父 (아버지)」が東亜日報新春文芸に当選、文壇にデビューした。
玄の作風は済州島を作品背景とした体験文学である。それらの作品は済州島に暮らす人々が本土から差別を受けたり、政治的抗争に巻き込まれる民衆の苦悩を描き出している。1978年、済州島四・三事件を扱った『順伊おじさん(순이삼촌)』を発表するや、発禁処分を受けるなど、問題作家として時の政権から弾圧を受けた。しかし、玄の作品は政治問題を扱ったものではなく、政治抗争に巻き込まれて板挟みになった民衆の描写にその主題が置かれている。その文学的功績が認められ始めたのは軍事政権が終わった1990年代頃からであり、萬海文学賞、呉永寿文学賞、韓国日報文学賞などを受賞している。
文学活動以外にも済州四・三研究所の所長、済州社会問題協議会の会長など済州島民の代弁者として積極的な活動を行う。2001年3月には民族文学作家会理事長、2003年には韓国文化芸術振興院院長を務めるなど、文壇においても重要な役割を担っている。