玄融 From Wikipedia, the free encyclopedia 玄融(げんゆう)は以下の人物の名・号。 玄融 - 奈良時代の大安寺僧。生没年不詳。天平勝宝6年(754年)8月に小寺主を務めていた[1] [2]。 林喜右衛門玄融 - 能観世流京都五軒家の一、林家の第三代(1665年-1743年)[3] [4]。 深見玄融 - 江戸時代の儒者。深見玄岱(高天漪)の次男。1722年、目安箱に蝦夷地開拓を投書、処罰された[5]。 柏倉玄融 - 北海道豊富町に移住し、光寿寺の前身となる大谷派説教所を開設した僧[6]。 ↑ 『日本古代人名辞典』[要文献特定詳細情報] ↑ “銀塵”. 「大安寺三綱牒」(『正倉院文書』). 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所. 2021年10月28日閲覧。 “天平勝寳六年八月九日小都維那 常 孝(略)小寺主 玄 融” ↑ 『観世』 42巻、1-6号、檜書店、1975年、15-25頁。https://books.google.co.jp/books?id=UvBBAQAAIAAJ&q=%E7%8E%84%E8%9E%8D。2021年10月29日閲覧。 ↑ “能を知る”. 林家略年表. 観世流能楽師【林 宗一郎】. 2021年10月28日閲覧。 “二代目までの歴史的検証が出来ず、三代目が初祖ではないかという説が有力” ↑ 「五 深見玄融蝦夷地拓殖意見を目安箱に投ず」『新撰北海道史: 第2巻』北海道庁、1937年、195-196頁。https://books.google.co.jp/books?id=Lp--JYX4zpoC&pg=PP281。2021年10月29日閲覧。 ↑ “豊富町の歴史”. 北海道豊富町. 2021年10月28日閲覧。 “明治40年 (西暦1907年) 柏倉玄融大谷派説教所(光寿寺)を開設した。 豊富八幡神社を建設した。沼の端(兜沼)特別教授所を開設した。” このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 Related Articles