Wikiwand AI

王伾

From Wikipedia, the free encyclopedia

王 伾(おう ひ、生年不詳 - 806年)は、唐代の官僚。二王八司馬のひとり。本貫は杭州。

はじめ翰林侍書待詔となった。正議大夫・殿中丞・皇太子侍書を歴任した。貞元21年(805年)、順宗が即位すると、王伾は翰林待詔のまま、左散騎常侍となり[1][2]、翰林学士をつとめた[3]。

王伾は韋執誼・韓泰・陳諌・柳宗元・劉禹錫・韓曄・凌準・程异らとともに王叔文の主導する改革(永貞革新)に協力した。杜佑を通じて王叔文を宰相とし、北軍を総べさせようと運動したが、許されなかった。そこで王叔文を威遠軍使・同平章事としようとしたが、やはり許可されなかった。永貞元年(同年)、憲宗が即位し、王叔文が失脚すると、王伾は開州司馬に左遷された。元和元年(806年)、配所で死去した[1][4]。

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks