王僧朗 From Wikipedia, the free encyclopedia 王 僧朗(おう そうろう、生年不詳 - 泰始2年2月7日[1](466年3月9日))は、南朝宋の外戚。本貫は琅邪郡臨沂県。王導の曾孫にあたる。 臨海郡太守の王穆の子として生まれた。元嘉年間、侍中となり、宮中に宿直して文帝に近侍し、謹慎篤実に務めた。元嘉22年(445年)、湘州刺史となった。後に丹陽尹に転じた。大明6年(462年)、尚書右僕射となった。大明7年(463年)、太常となった。泰始2年(466年)正月、明帝の皇后の父として左光禄大夫・開府儀同三司とされた。固辞したが、さらに侍中・特進を加えられた。同年2月、死去した。開府の位を追贈された。諡は元公といった。 子女 王楷(太中大夫) 王粋(黄門侍郎) 王彧 王貞風(明帝の皇后) 王氏(殷元素(殷叡の祖父)の妻) 脚注 ↑ 『宋書』巻8, 明帝紀 泰始二年二月乙丑条による。 伝記資料 『宋書』巻85 列伝第45 『南史』巻23 列伝第13 Related Articles