王文豹
From Wikipedia, the free encyclopedia
清の附生(府・州・県で採用された生員)。1902年(光緒28年)、日本に留学し、東京帝国大学で治安警察法を専攻する。その後、巡査教習所を経て警視庁で警察法を学んだ。1905年(光緒31年)に帰国すると、湖南省警察庁上席顧問兼巡警教習所教官となる。翌年、北京に移り、北京外城巡警総庁検事・外城分庁知事に任ぜられ、以後、行政局長、衛生局長も歴任した[2]。
中華民国成立後の1912年(民国元年)、警察庁課長に任ぜられる。翌年、禁煙局参事となり、さらに京畿税務局長も兼任した。その後、司法部秘書長に転じ、1914年(民国3年)7月に司法部監獄司司長に任命された。なお北京政府が崩壊する1928年(民国17年)6月まで、そのほとんどの期間において、王文豹はこの地位にあり続けた[3][4][5]。
監獄司司長を務めつつ、1924年(民国13年)11月に王文豹は司法部次長署理を兼任する。1926年(民国15年)4月、賈徳耀内閣で盧信の後任として司法総長代理となり、胡惟徳臨時内閣を経た同年5月まで務める。その後、燕京大学講師に転じたが、1927年(民国16年)7月に監獄司司長に再任され、北京政府崩壊まで務めた。その他、民国学院法律系主任、北平大学法学院法律系講師も務めている[3][4]。
王文豹の没年は不明である。