王稷 From Wikipedia, the free encyclopedia 王 稷(おう しょく、生年不詳 - 822年)は、唐代の官僚。 王鍔の子として生まれた。官を歴任して鴻臚寺少卿となった。父が節度使として出向していたとき、王稷は長安に留まって、家財を権臣に賄賂として贈った。広壮な邸宅を営み、宴遊に耽溺し、世論の非難を意に介さなかった。父が死去すると、王稷は父の遺表を取り換え、進上すべき銭物を隠したと家奴に告発された。宰相の裴度の弁護により、王稷は無罪となり、家奴のほうが処刑された。長慶2年(822年)、王稷は徳州刺史となったが、その財産を狙う横海軍節度使の李全略に殺害され、妻女を略取された[1][2]。 子に王叔泰があった[3][4]。 脚注 ↑ 旧唐書 1975, p. 4061. ↑ 新唐書 1975, pp. 5170–5171. ↑ 旧唐書 1975, p. 4062. ↑ 新唐書 1975, p. 5171. 伝記資料 『旧唐書』巻151 列伝第101 『新唐書』巻170 列伝第95 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles