王稷

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王 稷(おう しょく、生年不詳 - 822年)は、唐代官僚

王鍔の子として生まれた。官を歴任して鴻臚寺少卿となった。父が節度使として出向していたとき、王稷は長安に留まって、家財を権臣に賄賂として贈った。広壮な邸宅を営み、宴遊に耽溺し、世論の非難を意に介さなかった。父が死去すると、王稷は父の遺表を取り換え、進上すべき銭物を隠したと家奴に告発された。宰相の裴度の弁護により、王稷は無罪となり、家奴のほうが処刑された。長慶2年(822年)、王稷は徳州刺史となったが、その財産を狙う横海軍節度使李全略に殺害され、妻女を略取された[1][2]

子に王叔泰があった[3][4]

脚注

伝記資料

参考文献

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