王逸 From Wikipedia, the free encyclopedia 王 逸(おう いつ、生没年不詳)は、後漢の官僚・文人。『楚辞』の注釈である『楚辞章句』の著者として知られる。字は叔師。本貫は南郡宜城県。 経歴 後漢の安帝の元初年間、上計吏に挙げられたのち、校書郎となった。この時、『楚辞』の整理とその注釈である『楚辞章句』の執筆を行い[1]、世に広まった。同時に、『東観漢記』の編纂にも従事した[2]。 順帝の時に侍中となり、その後豫章太守となった[2]。彼によって著された賦・誄・書・論および雑文は、合わせて21篇あり、他に漢詩123篇を作った。また『正部論』[3]や『斉典』[4]を編纂した。また、のちに彼の文集が作られた[5]。 子の王延寿[6]は字を文考といい、若くして魯国に遊んで「霊光殿賦」を作ったが、後に二十数歳で溺水死した。 参考文献 伝記資料 『後漢書』巻80上 列伝第70上 研究 小南一郎「王逸「楚辞章句」をめぐって--漢代章句の学の一側面」『東方学報』第63巻、京都大學人文科學研究所、1991年。 NAID 110000282402。 脚注 [1]『隋書』経籍志四に「楚辞十二巻并目録。後漢校書郎王逸注」とあり、「後漢の校書郎の王逸が屈原以下劉向にいたるまでを集めた。王逸はまた自ら一篇をつくり、叙とあわせてこれを注した」とする。 [2]小南 1991, p. 84. [3]『隋書』経籍志三に「梁に王逸正部論八巻があった。後漢の侍中の王逸の撰」とある。 [4]『隋書』経籍志二に「斉典五巻王逸撰」とあり、『旧唐書』経籍志上に「斉典四巻王逸志」とあり、『新唐書』芸文志二に「斉典四巻」とある。 [5]『隋書』経籍志四、『旧唐書』経籍志下および『新唐書』芸文志四に「王逸集二巻」とある。 [6]『隋書』経籍志四に「王延寿集三巻」とある。 Related Articles