玖珂町
山口県岩国市の広域地名
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地理
歴史
概要
町内の西部臼田地区(高森高等学校の裏山北)には、古墳時代の遺跡があり。他所にも早くから人の住み着いた痕跡が残る。町内を東西に山陽道が通り(古代においては玖西盆地の南山麓を通っていたと云う)、玖珂郡のほぼ中央に位置しているため、かっては郡家が置かれていた。石山寺に遺る戸籍帳は平安時代のもので国宝に指定されている[4]。
戦国時代の領主杉氏は大内氏に属していたが、厳島の戦いにおいて陶晴賢が毛利元就の巧みな策略に敗れた後は、彼の謀略の前に為すすべもなく敗れている(鞍掛山の合戦)。関ヶ原の戦いの後は、毛利氏の国替えに伴い岩国領(吉川氏)の治めるところとなり、隣の高森地域は徳山藩(毛利氏)となった。一つの盆地を分けた治世の違いは見えないところで軋轢を生じていたようである。江戸時代には吉川藩の代官所と300軒余りの店が並ぶ集落を中心として四方に広がる農村だった[5]。
小藩の領下で貧しく、明治10年代にはハワイへの契約移民を多く出し、日露戦争後には朝鮮移住者も少なくなかった[6]。また、子弟の教育には熱心で、教育村でもあった[6]。

