南光坊天海の出自のひとつに、足利高基と瑞雲院の子という説(宇都宮一族説)がある。「宇都宮系図」(『下野国誌』所収)では、宇都宮成綱の娘に「高基室」がおり、「左兵衛督晴氏及宮原左馬頭晴真〔ママ〕大僧正天海等之母」との記述があり、続けて「享禄三年庚寅十月七日天海誕生而後逝去」としている。また、「芳賀・小宅系図」においても、宇都宮成綱の娘の一人に「高基室」がおり、「左兵衛督晴氏及宮原左馬頭晴直・大僧正天海等之母」との記述がある。
天海が慶長18年(1613年)に家康より日光山貫主を拝命し、本坊・光明院を再興した際に揉めごとがなかったのは、天海が古河公方の末裔あるいは宇都宮一族だった可能性があったからすんなり迎え入れられたとする説もある。