甘露寺俊長 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代後期-戦国時代生誕 天文7年(1538年)死没 天文17年2月21日(1548年4月9日)改名 中御門俊藤→甘露寺俊長 凡例甘露寺 俊長時代 室町時代後期-戦国時代生誕 天文7年(1538年)死没 天文17年2月21日(1548年4月9日)改名 中御門俊藤→甘露寺俊長官位 従五位上、左衛門佐氏族 中御門家→甘露寺家父母 父:中御門宣忠、母:刀自養父:甘露寺伊長兄弟 俊長、中御門宣教養兄弟:熙長、経元、正親町公叙室、木造氏室テンプレートを表示 甘露寺 俊長 (かんろじ としなが)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公家。権大納言・中御門宣忠の長男。官位は従五位上・左衛門佐。初名は俊藤(としふじ)。 権大納言・中御門宣忠の長男として生まれる[1]。当初は中御門 俊藤(なかのみかど としふじ)と名乗った[1]。のちに甘露寺伊長の養子となり、甘露寺 俊長(かんろじ としなが)と改名する[1]。 近江介、左衛門佐、従五位上に叙せられるも、天文17年(1548年)に家督を継ぐ前に11歳で死去した[1]。 俊長の後は、中山孝親の長男・甘露寺熙長が養子入りした[1]。 官歴 『系図纂要』による 時期不明:近江介、左衛門佐、従五位上 天文17年(1548年) 2月21日:卒去(享年11) 系譜 『系図纂要』による 父:中御門宣忠 母:刀自 養父:甘露寺伊長 脚注 1 2 3 4 5 『系図纂要』 Related Articles