甘露寺俊長

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生誕 天文7年(1538年
改名 中御門俊藤→甘露寺俊長
 
甘露寺 俊長
時代 室町時代後期-戦国時代
生誕 天文7年(1538年
死没 天文17年2月21日1548年4月9日
改名 中御門俊藤→甘露寺俊長
官位 従五位上左衛門佐
氏族 中御門家甘露寺家
父母 父:中御門宣忠、母:刀自
養父:甘露寺伊長
兄弟 俊長中御門宣教
養兄弟:熙長経元正親町公叙室、木造氏
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甘露寺 俊長 (かんろじ としなが)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公家権大納言中御門宣忠の長男。官位従五位上左衛門佐。初名は俊藤(としふじ)。

権大納言中御門宣忠の長男として生まれる[1]。当初は中御門 俊藤(なかのみかど としふじ)と名乗った[1]。のちに甘露寺伊長の養子となり、甘露寺 俊長(かんろじ としなが)と改名する[1]

近江介左衛門佐従五位上に叙せられるも、天文17年(1548年)に家督を継ぐ前に11歳で死去した[1]

俊長の後は、中山孝親の長男・甘露寺熙長が養子入りした[1]

官歴

系譜

脚注

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