生口氏
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南北朝時代
暦応4年(1341年)、沼田小早川氏の本拠地・沼田荘内に造成した新田を小早川宣平の子・道祖鶴丸が分知され小早川氏の庶子家として始まることになる。この道祖鶴丸が後の生口氏の初代当主・生口惟平である。 康永元年・興国3年(1342年)、北朝勢として南朝方の伊予国世田山城攻略戦に参戦。これに乗じて 小泉氏など他の小早川氏庶子家と共に、瀬戸内海の弓削島、因島、生口島などに進出。後に本拠地を生口島に移し、地名をとって生口氏を称した。二代当主・生口公実の頃には、瀬戸内海の交通の要衝で水運の拠点でもあったこの地の商人と積極的に結びつき水運に深く関わっていった。1415年(応永23年)、仏通寺建立に際して小早川一族が馬を寄進した「仏通寺仏殿立柱馬注文写」(『小早川家文書』)には、「屋形」(小早川則平)に並んで「生口殿(生口公実)」が書かれており、当時の生口氏が小早川一族内で重きをなしていたことが窺える。