生品神社
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| 生品神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 群馬県太田市新田市野井町645ほか |
| 位置 | 北緯36度19分2.9秒 東経139度18分26.8秒 / 北緯36.317472度 東経139.307444度座標: 北緯36度19分2.9秒 東経139度18分26.8秒 / 北緯36.317472度 東経139.307444度 |
| 主祭神 | 大穴牟遅神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 不詳 |
| 例祭 | 鏑矢祭(5月8日) |
| 地図 | |
生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市新田市野井町にある神社。主祭神は大穴牟遅神[1]。旧社格は県社。境内は「新田荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。
創建は不詳だが、上野太守となった豊城入彦命が鎮護のため大己貴命を祀ったとも、平将門の弟・御厨三郎将頼の霊を祀ったとも伝わる。天喜年間(1053年 - 1057年)に源義家が奥州征伐の折、当社で祈願したとの伝承もある[2]。
『上野国神名帳』には新田郡「従三位 生階明神」として記載される[3][4][1]。
「正木文書」に「いくしなのミやに一町三反」と記述があり、嘉応4年(1170年)に神田を領有していたことが確認できる[5]。
元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、産土神である生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。『太平記』はこのとき旗揚げに参集した軍勢は150騎だったとしている[6]。境内には社殿の他、新田義貞公像、義貞公旗揚げ塚、神木、記念碑等がある。
江戸時代には別当寺として北方に福泉寺が存在したが、明治時代の神仏分離で廃寺となった[7]。
明治5年(1872年)郷社に列せられる[1]。明治36年(1903年)11月25日に市野井村八幡の無格社・八幡神社を、明治42年(1909年)3月11日に市野村本郷の村社・赤城神社や反町村要害の村社・赤城(沼)神社などを、明治44年(1911年)3月8日に村田村新林の村社・赤城神社などを合祀[2][1]。昭和9年(1934年)7月18日に県社となった[1]。
境内は1934年(昭和9年)3月13日、「生品神社境内(新田義貞挙兵伝説地)」として国の史跡に指定[8]。2000年(平成12年)11月1日、新田荘関連の他の10箇所の遺跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定された[9]。