生田朗
日本の音楽プロデューサー、コーディネーター (1954-1988)
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来歴
1975年から、山下洋輔・坂本龍一・大貫妙子のマネージャーとなり[3]、1981年からフリーの音楽プロデューサー&コーディネーターとして独立。高橋幸宏・清水靖晃・渡辺香津美らの作品を手がける[3]。
YMO作品のマネジメントやコーディネートを手がけ[3]、アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』のマネージメント、アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』でのコーディネーターなどを行い、1979年の「トランス・アトランティック・ツアー」ではツアーマネージャーを務めた。同年の中野サンプラザでの凱旋公演のメンバー紹介(アルバム『パブリック・プレッシャー』に収録『バック・イン・トキオ』)も、生田によるものである。散開後は坂本龍一のスタッフとなり、坂本の個人事務所を取り仕切っていた[4]。坂本が出演および音楽を担当した『ラストエンペラー』に日本人医師として出演している[3]。
1988年8月18日、メキシコのプエルト・バヤルタで休暇中に運転していた車ごと崖に転落し、2日後の8月20日に死去[4]。
高橋幸宏の1988年発表楽曲「sea-change」(アルバム『EGO』収録)は生田に捧げられたもの。
出演番組
- ミュージック・ワークショップ(広島FM)[2]