1927年(昭和2年)に井上一郎五段に試験碁を受けて二段を免許される。同年春期大手合乙組優勝、三段昇段。1944年四段。1956年五段。1974年六段。1984年引退、七段。
1960年頃から当時9歳の武宮正樹への囲碁指導を始め、その後武宮が院生の1級に進むまでの4年間で、五子から先まで約90局の指導碁を行う。プロ試験に合格した武宮を木谷實九段に推薦し、「私が生みの親、木谷さんが育ての親、それでいいじゃないですか」と言って木谷門下とした[1]。1974年に第14期名人戦の予選で、武宮正樹七段との師弟対決が実現、プロ十傑戦で2位などの活躍をしていた武宮に対して、当時70歳の田中は武宮ばりの「中の碁」で応戦し、勝利は譲ったものの2目半差と健闘した。
田中の碁は「地を取るのが嫌い」であり、中央志向の力戦派であった。こうした田中の棋風は教え子である武宮正樹少年に引き継がれ、武宮独特の「宇宙流布石構想」の完成に多大な影響を与えた。田中が目指した「地にこだわらない中央志向の碁」は武宮により完成され、その独創的なスタイルは世界中で極めて高く評価されている。