信州から上京し、金物業を営んだ。
本所区亀澤町の舟木商店から瓦斯器具修理の依頼を受け、高野工場を使って仕事を始めた。
1917年3月、田中は下谷区竹町に酸素溶断器の専門工場を開業した。同年5月、本所区亀沼町の船本商店とはじめて引取契約を結んだ。
1919年4月、芝区田町の吉田藤作商店と取引を開始した(その関係は戦後の1946年まで続いた)。同年5月、工場を拡張し、同時に酸素減圧弁の改良製作に着手した。
1931年9月、田中製作所は日本酸素の下請工場となり、販売面での強化を図った。
1932年6月、減圧弁が登録実用新案として広告され、関東における酸素減圧弁の基本形となった。