鳥取県米子市博労町に生まれた[1]。田中猗猗(いい)の長男[1]。
米子中(現在の米子東高校)、松江高を経て1937年九州帝国大学医学部を卒業し、同病理学教室に入る[1]。
1942年医学博士の学位を受ける(論文の題は 「ワイル氏病黄疸の成因に関する実験的研究 [2]」)[1]。翌年旅順医専教授となる[1]。
1947年米子医専(現鳥取大学医学部)教授となり病理学を担当する[1]。翌年米子医科大(現鳥取大学医学部)助教授[1]。
1951年に鳥大教授となり、第2病理学教室を主宰した[1]。1968年鳥大講師を併任する[1]。