田中建三郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 田中 建三郎(たなか けんざぶろう、弘化2年6月12日〈1845年7月16日〉 - 明治41年〈1908年〉1月28日)は、幕末の武士(広島藩士)、明治期の官僚。本姓は藤原氏。諱は正範。位階および勲等は従四位・勲三等。 広島藩士田中善平政辰の五男として広島にて生まれる。兄に維新の志士の田中軍太郎(正雄)と、元老院議官などを務めた渡正元がいる。 1868年、鉱山司に出仕する。1874年に外務省に移り、イタリアのローマ公使館に勤務。その後、宮内省式部官、帝室制度取調掛、閑院宮や北白川宮の家令、内大臣秘書官、侍従職などを歴任した[1][2]。 明治41年1月28日卒去。享年63。同年7月神道式の葬儀により青山霊園に葬られた。兄の渡正元の墓所も近くに存在する。 系譜 住所:東京市麹町区平河町6-20 前妻:敬子(1866年 - 1899年12月15日)- 得能良介の四女[3] 長女:榮(1886年9月 - ?)[4] 次女:梅子(1889年2月 - ?)[4] - 財部実秀の妻[5] 三女:操(1890年11月 - ?)[4] 後妻:くに(邦子、1869年5月 - 1917年7月3日)- 名古屋の時計商・小泉徳兵衛長女[4] 長男:不二雄(1902年2月 - 1971年7月13日)- 日本最初の飛行学校である伊藤飛行機研究所で操縦を学んだが、飛行適性がなく3等飛行機操縦士で終了した。だが後進を育てることを目的に、1933年11月、深川区洲崎の埋立地に田中飛行研究所を設立し、戦後には代々木にパイロット親睦会の「鶏明社」を設立[6][4] 不二雄妻:阜子(1914年1月 - 2003年7月4日)- 埼玉県川越町の西村家に生まれる。川越高等女学校を出て文化裁縫女学校に学ぶが、後に家族の反対を押し切り田中飛行研究所に入学。1935年11月26日、逓信省民間操縦士試験に合格し、二等飛行機操縦士資格を取得[7]。この学校の経営者不二雄とのちに結婚。女優でもあり、1937年には航空映画『翼の世界』(日活多摩川撮影所、田口哲 (映画監督))に出演するなど「女優飛行士」として注目された。 次男:又二(1903年 - 1918年2月27日)[8] 脚注 ↑ 国立国会図書館 近代日本人の肖像 ↑ コトバンク 田中建三郎 ↑ 「得能良介君伝」国立国会図書館デジタルコレクション 1 2 3 4 5 「人事興信録 初版(明36.4刊)」国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 「人事興信録 5版」国立国会図書館デジタルコレクション ↑ [https://www.aero.or.jp/culture/aviationand-culture/20090215-7947/ 逓信省航空局 航空機乗員養成所物語 (26) – 民間航空の再開 日本航空協会] ↑ 昭和館デジタルアーカイブ 時事写真速報第2404号(4) 空にあこがれ二等飛行士に ↑ 「人事興信録 第2版」国立国会図書館デジタルコレクション Related Articles