田中恭一
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国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務[1]。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む[1]。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した[1]。後に、玉水屋店頭には『コンタクトレンズ誕生の地』の記念プレートが設置された[3]。また、生誕地である一宮市木曽川町の白山神社参道入り口(愛知県道175号江南木曽川線の本線とバイパス分岐点)付近にも記念の石碑が設置されている[4]。
1952年に日本コンタクトレンズ研究所を創設。1957年に日本コンタクトレンズ株式会社を設立。1965年に東洋コンタクトレンズ株式会社に社名変更。1967年に『メニコン』の名を商標登録。1982年に東洋コンタクトレンズ株式会社(研究・製造部門)と株式会社メニコン(販売部門)に分離。1987年に再統合し、新生メニコンとなる。1995年、藍綬褒章受章。2000年からメニコン会長。