田中清玄銃撃事件
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1963年、東声会・町井久之会長は、右翼活動家・児玉誉士夫の取り持ちで、三代目山口組・田岡一雄組長の舎弟となった。関東のヤクザ団体はこの兄弟盃に反対したが、児玉誉士夫が関東ヤクザ団体を説得した。
同年2月10日[1]、神戸市須磨区の料亭「寿楼」で、田岡一雄と町井久之の兄弟盃が執り行われた。この結縁式には、稲川裕芳(後の稲川聖城)・錦政会(後の稲川会)会長、関根賢・関根建設社長、阿部重作・住吉会名誉顧問、磧上義光・住吉一家四代目総長兼港会会長、並木量次郎・並木一家三代目総長が出席した。
同年2月11日、京都市の都ホテルに、稲川裕芳、北星会・岡村吾一会長、町井久之、松葉会・藤田卯一郎会長、田岡一雄ら全国の主だった組長が集まり、児玉誉士夫の東亜同友会構想が披露された。関東の組長を稲川裕芳が、関西・中国・四国の組長を田岡一雄が、九州の組長を児玉誉士夫がまとめて、意思統一を図った。
同年3月、田岡は全国港湾荷役振興協会事務所で、全国港湾荷役振興協会会長・藤木幸太郎から右翼の田中清玄を紹介された。
同月、グランドパレス事件が勃発した。結果的に、児玉誉士夫の東亜同友会構想は頓挫し、田岡一雄と稲川裕芳の対立は決定的となった。
→詳細は「グランドパレス事件」を参照
同年11月9日午後4時から、東京丸の内の東京會舘で、立教大学総長の松下正寿が発起人となって、評論家高谷覚蔵の出版記念祝賀会が開かれた。田中清玄は祝賀会に出席した。
同日午後6時、出版記念祝賀会が終了し、田中清玄は、東京會舘の玄関前で、タクシーを待った。