田中耕
日本の政治家 (1897-1969)
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経歴
長野県北安曇郡会染村(現・池田町)生まれ。長野県師範学校第三種講習を経て、1917年(大正6年)明治薬学校(現・明治薬科大学)卒。薬剤師を経て、長野県豊科町(現・安曇野市)で薬局を開設。また、長野県豊科町商工会議員も務め、1936年(昭和11年)第19回衆議院議員総選挙で立憲養正会の公認で出馬し、落選するも、その後繰り上げ当選。院内では興亜議員同盟に所属した。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で再選。1940年(昭和15年)、大政翼賛会が結成されるも、立憲養正会はかねてより新体制運動を批判しており、大政翼賛会には合流しなかった。その後も批判を続けたため1942年(昭和17年)に立憲養正会は結社禁止となり解散となった。田中は無所属議員となり、第21回衆議院議員総選挙には無所属で立候補したものの落選した。戦後、公職追放となり[3](1951年追放解除[4])、追放解除後は国政選挙には立候補せず、戦後再建された立憲養正会の最高顧問や豊科町長などを務めた。
著作
- 述『重大時局に際して為政者の根本的反省を促す』〈立憲養正会宣伝パンフレット9〉養正時評社出版部、1941年。
