田中耕太郎 (海軍軍人)
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丹波国多紀郡篠山(現在の兵庫県丹波篠山市)出身[3]。1890年(明治23年)、海軍兵学校を卒業。日清戦争では『扶桑』に乗り組み従軍した[3]。1900年(明治33年)にロシアに留学を命じられ、その後軍令部に勤務した[2]。1909年(明治42年)に在ロシア大使館附武官に就任[2]。1914年(大正3年)からは馬公要港部参謀長、海軍大学校教官、軍令部第三班課長を歴任した[2]。1919年(大正8年)より浦塩派遣軍附となった[2]。
海軍随一のロシア通であったが、帝政ロシアの没落とともに1923年(大正12年)に予備役に編入された[3]。その後、1928年(昭和3年)に後備役となり、1933年(昭和8年)に退役となった[2]。
家族
長男・一穂の岳父に置塩章
