田中譲

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田中 譲(たなか ゆずる、1874年明治7年〉8月26日[1] - 1934年昭和9年〉5月16日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

和歌山県[2]牟婁郡、のちの西牟婁郡周参見村(周参見町を経て現すさみ町)出身[3][4]1895年(明治28年)工手学校(現工学院大学)を卒業した[4]

福井島根の各県の土木工手、農商務省営林技手となる[2]1905年(明治38年)松村組に入社[4]。その後、大阪市議大阪地方裁判所借地借家調停委員、(株)松村組社長、日本土木建築請負業者連合会本部理事、高木銀行、山本絹紡績各(株)取締役となる[2]

1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙において大阪2区から実業同志会公認で立候補して当選した[5]1926年、選挙法違反で議員を退職。その後の再選挙に立候補し、再選された。1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1934年死去。

親族

脚注

参考文献

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