田園の憂鬱
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当初は『病める薔薇』の題名で雑誌「黒潮」に掲載された。1916年5月のことである。『田園の憂鬱』の約4分の1に相当する部分まで書き進め、『続病める薔薇』として原稿用紙50枚を書き上げたが、編集者から拒否されたため、自ら遺棄する。その後、1918年2月に『田園の憂鬱』として全編を書きあげ、同年9月に雑誌「中外」に掲載された。しかし、佐藤自身が作品に不満を持っていたため推敲を重ね、1919年3月に定稿とする[1]。
内容は、自らの田園生活の中で、佐藤自身の心境が重ねられ赤裸々に吐露されており、憂鬱と倦怠に象徴されるような病的な当時の心境が描かれている。文体は写実的で、自身が持っている深い感情に裏打ちされ、同時に修飾され抒情的文体に昇華されている。この抒情的情景には、日本人が共通して持っている古き良き時代へのノスタルジアや感情をも秘めているため、多くの共感を得ることができる、と指摘する者もある。当時佐藤は神経衰弱を患っており、都会から離れ田舎暮らしを行うことで都会で受けた神経の摩耗を取り戻そうとしたが、この作品を描くことでさらに自己蘇生を期待していたとも取れる[1]。