田島 (大阪市)

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田島
大阪市立田島中学校
大阪市立田島中学校
田島の位置(大阪市内)
田島
田島
田島の位置
田島の位置(大阪府内)
田島
田島
田島 (大阪府)
北緯34度38分47.79秒 東経135度32分34.37秒 / 北緯34.6466083度 東経135.5428806度 / 34.6466083; 135.5428806
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
生野区
面積
  合計 0.585674432 km2
人口
2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
  合計 8,252人
  密度 14,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
544-0011[3]
市外局番 06(大阪MA[4]
ナンバープレート なにわ
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田島(たじま)は、大阪府大阪市生野区にある町名。現行行政地名は田島一丁目から田島六丁目。

生野区の南部に位置し、東に巽西、南東に巽南、北西に勝山南、西に舎利寺、南西に林寺、北に中川、南に東住吉区今林と接している。

歴史

田園地帯に生じた集落を島に見立てて「田島」という地名が生まれたとされる[5]。元は「たしま」と清音で読まれ、現在も地区内にある神社名や学校名は「たしま」と読む[5]

かつては眼鏡レンズ製造の地として知られ、地域にある田島神社には「眼鏡レンズ発祥之地」の碑が建立されている。江戸時代、この地に生まれた石田太次郎(1831年生まれ-没年不詳)が、丹波国に赴いて眼鏡レンズの研磨技術を習得し、1857年に帰郷して村人に技術を伝えた。このことが田島での眼鏡レンズ製造の発祥となっている。村では明治時代に入ってからの1880年代前後、それまでの地場産業だった河内木綿の生産が衰退したことで、綿作に代わって眼鏡レンズ製造が村の主要な産業となった[6]大正時代には電力が引かれたことなどを背景に、近代的な眼鏡レンズ製造の専門工場がこの地に設置され、一時期は田島が日本一の眼鏡レンズの産地となった[7][8][9]。その後、1960年代以降には眼鏡レンズが従来のガラスレンズからプラスチックレンズが主流になり、プラスチックレンズ製造への転換は設備投資が見合わないこと、輸出競争力低下などの時代の変化により、1960年代以降にはレンズ製造業者はほとんどが撤退するなどした。

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東成郡国分村・舎利寺村・林寺村・林寺新家村・田島村が合併して生野村が発足。田島村は大字田島となる。
  • 1925年大正14年)4月1日 - 大阪市に編入され、東成区生野田島町となる。この時には行政上の読み方が「たじま」となっていたようである[5]
  • 1943年昭和18年)4月1日 - 分区により、東成区から生野区に転属。
  • 1973年(昭和48年) - 住居表示が実施され、従来とは範囲が変更された上で、生野区田島となる。

世帯数と人口

2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
田島一丁目 909世帯 1,650人
田島二丁目 776世帯 1,441人
田島三丁目 415世帯 815人
田島四丁目 834世帯 1,619人
田島五丁目 921世帯 1,772人
田島六丁目 520世帯 955人
4,375世帯 8,252人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 10,789人[10]
2000年(平成12年) 10,039人[11]
2005年(平成17年) 9,529人[12]
2010年(平成22年) 8,962人[13]
2015年(平成27年) 8,606人[14]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 3,676世帯[10]
2000年(平成12年) 3,637世帯[11]
2005年(平成17年) 3,766世帯[12]
2010年(平成22年) 3,700世帯[13]
2015年(平成27年) 3,827世帯[14]

事業所

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

丁目事業所数従業員数
田島一丁目 126事業所 920人
田島二丁目 82事業所 352人
田島三丁目 62事業所 265人
田島四丁目 73事業所 567人
田島五丁目 131事業所 743人
田島六丁目 81事業所 764人
555事業所 3,611人

交通

施設

その他

脚注

関連項目

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