田所健太郎
日本のフリーラジオディレクター
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経歴
名前は、渥美清の兄の「健一郎」から一字を取った[1]。
立教高等学校(現在の立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒業後、1994年4月ニッポン放送入社。大学在学中は放送研究会に所属していた。
ニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に「父 田所康雄 職業 俳優」と書いたことから、採用担当者は時代劇の斬られ役程度の大部屋俳優だろうと思っていたが、ニッポン放送の「父兄参観日[2]」に渥美本人が(健太郎の父親として)来局したために局内は騒然となった[3]。その際、社内用の記録を残そうとニッポン放送のスタッフが取材を申し込んだが、「(渥美清としてのコメントは)窓口の松竹を通してください」と断われたという[4]。
同期入社の垣花正アナウンサーによると、当時のニッポン放送やフジテレビを含めたフジサンケイグループの入社式には新入社員の親を同席させる慣習があり、その入社式に田所の父親である渥美が来ていたために垣花の両親ともども「寅さん!?」と大変驚いたとの事。
ニッポン放送では編成局制作部のディレクターとして活躍。父の渥美の急死後の1996年9月、亡父に代わって当時の内閣総理大臣橋本龍太郎から国民栄誉賞を受け取った。同じ1996年12月に当時ニッポン放送アナウンサーの山岡和美(プロダクション洒落所属を経てフリー)と結婚[5]。1999年7月に営業への人事異動を嫌い退社、現在はフリーディレクターとしてアニラジを中心に活動している。
出演番組
- オールナイトニッポンディレクターズ(神田比呂志と田所健太郎)のオールナイトニッポン(1997年11月放送)
- LF+Rディレクターズカット(月曜@llnightnippon.com26:00 - 26:30、1999年3月30日 - 6月)
- 前週の一番面白かったパーソナリティのトークと、AM波では珍しいフルコーラスの楽曲、神田比呂志と田所のトークで構成。田所退社の為3ヶ月で打ち切り。
担当番組
- (有)チェリーベル
- 水樹奈々 スマイルギャング
- 國府田マリ子のGM
- スウィートジャンクション
- やまだひさしのラジアンリミテッドDX(水曜日)
- 大塚エンタテインメント(bayfm、2003年4月 - 2005年9月、ケツメイシのRyojiが社長役のDJ)
ニッポン放送時代の担当番組
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ
- 伊集院光のOh!デカナイト
- U-turnのオールナイトニッポン(AD)
- ゲルゲットショッキングセンター
- 岩男潤子と荘口彰久のスーパーアニメガヒットTOP10
- 猿岩石のオールナイトニッポン
- T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン Music Revolution(AD)
- つんくのオールナイトニッポン
- YUKIのオールナイトニッポン(1部のみ)
他多数
参考文献
日刊スポーツ新聞社文化部編『寅さんは生きている』(朝日ソノラマ、1997)