1964年、トヨタ(トヨタ自販)のワークスドライバーになる[4]。同年5月の第2回日本グランプリで4輪レースにデビューし、コロナで14位、クラウンで20位。
1965年3月、全日本ナショナルストックカーレースで4輪レース初優勝(クラウン)。10月の第3回クラブマンレースでも優勝(トヨタ・スポーツ800)。
1966年、トヨタ自工の正式なワークスチームとして「チーム・トヨタ」が発足し、その最初のメンバーに選ばれた[5]。同年1月の東京200マイルレース(船橋)でクラス優勝(コロナの輸出版であるティアラに乗車)。3月の全日本ドライバーズ選手権でクラス優勝(スポーツ800)。5月の第3回日本グランプリでトヨタ・2000GTプロトタイプに乗り予選2位(トヨタ勢の最上位)、決勝リタイヤ[6]。10月に行われたトヨタ2000GTプロトによる速度世界記録挑戦に参加し数々の世界記録を樹立[7]。
1967年4月、富士24時間耐久でクラス優勝(大排気量車に混じりスポーツ800で総合3位、川合稔とペア)。
1968年、トヨタから日産に移籍[8]。トヨタでは一軍ワークス所属だったが、日産では二軍的な存在だった大森ワークスに加入する。
1969年9月、全日本ストックカー富士300kmで優勝(セドリック)。
1970年、日産ワークスを離脱[9]。以後はプライベーター(個人出場者)に転じ、主としてストックカーレースに参戦。同年8月の全日本ストックカー筑波300kmで優勝(セドリック)。
1972年、ストックカーレース年間チャンピオン。FJ(フォーミュラ)レースにも参戦。
1973年、現役を引退。以後、タクシー運転手として活動。
晩年は各種ヒストリックイベントで、トヨタ・2000GTなどを走らせファンを楽しませているほか、イベントレースなどに参戦していた。
2016年11月2日に死去。84歳没。