田村惟昌 From Wikipedia, the free encyclopedia 田村惟昌 田村 惟昌(たむら これまさ、1856年4月6日(安政3年3月2日[1])- 1926年(大正15年)7月30日[2])は、明治から大正時代の政治家。新聞経営者。衆議院議員(4期)。 越中国新川郡、のちの富山県下新川郡経田村(現魚津市)の濱名家に生まれ、のち伯父の田村家の養子となる[3]。富山藩儒・岡田呉陽の門に入り学んだ[4]。1874年(明治7年)新川県第三大区副区長、1875年(明治8年)9月、学区取締を経て、1878年(明治11年)新川郡書記に就任する[4]。1881年(明治14年)3月、有志と共に協同会を組織し同会長となり政治活動に奔走する[4]。ついで富山県会議員に当選し、同常置委員[4]、副議長などを歴任した[2]。ほか、富山日報社社長を務めた[2]。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では富山県第2区から出馬し当選[2]。その後、第7回から第9回総選挙で当選し衆議院議員を通算4期務めた[2]。1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で重禁固4か月、追徴金600円の実刑となる[5]。これにより勲四等を褫奪された[6]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『人事興信録 初版』人事興信所、1903年、p.459。 1 2 3 4 5 衆議院、参議院 1962, 281頁. ↑ 篠田 1891, 144頁. 1 2 3 4 篠田 1891, 145頁. ↑ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」512頁 ↑ 官報 1910年05月23日 四三一頁 参考文献 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778813。 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139。 Related Articles