田村栄太郎

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田村 栄太郎(たむら えいたろう、1893年明治26年〉9月25日[1][2] - 1969年昭和44年〉11月29日)は、日本の歴史研究家。在野の学者という立場を貫き、学会の官僚主義やエリート意識を批判した[1]遊廓街で育ったことから幼少時から遊女らと交渉を持った。風俗関係に関する研究で知られ、数多くの著書を出した。

1893年明治26年) 群馬県高崎市嘉多町に生まれる[1][2][3]。生家は人力車宿・履物屋を営んでいた[1][3]高崎尋常小学校を経て[2]高崎商業学校に学ぶ[1][2]。病気のため同校を卒業間際に中退し、その後上京して明治薬学校(現・明治薬科大学)に入るがほどなく中退する[2]台湾に渡り[2]漢方薬の研究をするがほどなく帰国。

郷里で農民運動に参加[1][2]建設者同盟にも加わる[2][3]1923年大正12年)の群馬共産党事件で検挙され禁錮刑を受けた[1][2][3]1928年(昭和3年)社会民衆党から群馬県会議員に立候補するが落選した[3]

1930年(昭和5年)に『都新聞』の上泉秀信の招きにより上京し、評論の執筆を行うようになった[2]。同年農民運動へ参加した経験を生かし『日本農民一揆録』を発表[1][2]藤森成吉の『磔茂左衛門』に影響を与えた[1]1932年(昭和7年)『歴史科学』が創刊されると頻繁に論文を寄稿した[1][2]。また1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)まで個人雑誌『日本の風俗』を編集発行した[1][2]

戦後は歴史学研究会民主主義科学者協会地方史研究協議会に参加[2]1960年(昭和35年)から翌年にかけて雄山閣から『田村栄太郎著作集』が出版された[2]1969年(昭和44年)11月29日、死去[2]

著書

出典

外部リンク

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