田村響
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愛知県安城市に生まれる[3]。安城市立篠目中学校卒業[4]。愛知県立明和高校音楽科を卒業後、ザルツブルク・モーツァルテウム大学にて学び[5]、留学中の2007年に20歳でロン=ティボー国際コンクールで優勝した[5][6]。その後世界的に活躍するようになり「年間⅓ほど演奏活動で学校を離れることもあり、あっという間に4年間が過ぎた」と語っている[5][7]。2010年2月からは日本全国ツアーを行うなどしたが[7]、「中途半端な形で大学を終えてしまった。20代のうちに自分に一つのけじめをつけるために修士を取得しよう」と決意し、2013年4月に大阪音楽大学大学院に入学した[5]。2015年に修士号を得て卒業し[8]、同年4月から京都市立芸術大学講師となった[3]。
ピアニストのクラウディオ・アラウを敬愛しており、志に迷いが生じたときはアラウの演奏するベートーヴェンを聴いている[9]。
コンクール優勝の影響

田村がロン=ティボー国際コンクールで優勝した翌年の2008年には、同じ愛知県立の名古屋市立菊里高等学校音楽科が13年ぶりに定員40人を割る中で、田村の出身校である愛知県立明和高等学校音楽科は、定員40人に対し希望者100人と前年に比べ躍進した[10]。菊里高校音楽科主任の内藤江美、明和高校音楽科主任の西典代は朝日新聞の取材に対し、前年の田村の優勝、および受賞時に「明和高校出身」と紹介されたことが影響したと述べた[10]。これに対し両校とも公開実技試験や選抜演奏会の実施など、人員確保のための施策を講じたが、 「コンクールは目安にすぎない」「誰もがプロの音楽家になるわけではないし、どの生徒にもいつか咲く花がある。一人一人の個性や可能性を大切に伸ばしたい」「勉強の一つの目標としてコンクールに挑戦するのはよいことだが、結果は運。一喜一憂する必要はない。演奏家にならなくとも、音楽を心から楽しんで応援できる、よい聴衆に育てたい」として、田村に続く学生のコンクール入賞を積極的に押し出す姿勢は取らなかった[10]。
趣味
受賞歴
評価
- 愛知県立芸術大学准教授の安原雅之は、2008年に田村が名古屋フィルハーモニー交響楽団と共演したラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を聴いて、「田村の独奏は、安定したテクニックと高い芸術性を兼ね備え、この作品が示す絢爛豪華なヴィルトゥオーソ性と叙情性を遺憾なく発揮した」と述べ、「オーケストラの音の狭間から矢のように飛び出してくる弱音」の美しさを称えた[16]。
- 朝日新聞の谷辺晃は、2008年に関西フィルハーモニー管弦楽団と共演した田村の演奏を聴いて「技術も音楽性もずば抜けていて驚嘆」と評した[17]。
主なディスコグラフィ
- デビュー・アルバム - ハイドン『ピアノソナタ』ほか[18]
- ショパン作品集 - 『ピアノソナタ第2番』ほか[19]
- リサイタルアルバム - リスト、モーツァルトの作品集[20]
- フランス・ヴァイオリン作品集 - ヴァイオリニスト小林美樹との共演[21]
- ロン=ティボー国際音楽コンクール優勝記念盤 - モーツァルト、フォーレ、ブラームスの作品集[22]