田武

From Wikipedia, the free encyclopedia

田 武(でん ぶ、生年不詳 - 945年)は、五代十国時代軍人は徳偉。本貫魏州元城県[1]

経歴

若くして力強くて勇ましく、はじめ晋王李存勗に仕えて小校となり、銀槍効節軍指揮使に累進した。後唐天成元年(926年)、明宗が即位すると、田武は帳前都指揮使に転じ、澶州刺史をつとめた。天成2年(927年)、左羽林軍都指揮使となり、宜州刺史を遥領し、襄州都巡検使をつとめた。天成3年(928年)、汴州馬歩軍都指揮使から曹州刺史に任じられた。長興元年(930年)、斉州防禦使に転じた。さらに洺州防禦使に転じた。清泰年間、成州防禦使・隴州防禦使を歴任し、西面行営副部署をつとめた[1]

後晋天福元年(936年)、金州防禦使に任じられた。金州に節度使が建てられたとき、田武の母が死去したため、田武は辞職して喪に服していた。そのまま復帰して金州節度使となった。開運元年(944年)、横海軍節度使に転じ、北面行営右廂都指揮使を兼ねた。開運2年(945年)、寧江軍節度使に転じ、侍衛親軍歩軍都指揮使をつとめた。その年のうちに昭義軍節度・沢潞遼沁等州観察処置等使・潞州大都督府長史検校太傅に転じ、雁門郡開国公に封じられた。赴任しないうちに、病没した。太尉の位を追贈された[1]

家族

  • 父:田簡(贈尚書右僕射)
  • 子:田仁朗
  • 子:田仁遇[1]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI