田武
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経歴
若くして力強くて勇ましく、はじめ晋王李存勗に仕えて小校となり、銀槍効節軍指揮使に累進した。後唐の天成元年(926年)、明宗が即位すると、田武は帳前都指揮使に転じ、澶州刺史をつとめた。天成2年(927年)、左羽林軍都指揮使となり、宜州刺史を遥領し、襄州都巡検使をつとめた。天成3年(928年)、汴州馬歩軍都指揮使から曹州刺史に任じられた。長興元年(930年)、斉州防禦使に転じた。さらに洺州防禦使に転じた。清泰年間、成州防禦使・隴州防禦使を歴任し、西面行営副部署をつとめた[1]。
後晋の天福元年(936年)、金州防禦使に任じられた。金州に節度使が建てられたとき、田武の母が死去したため、田武は辞職して喪に服していた。そのまま復帰して金州節度使となった。開運元年(944年)、横海軍節度使に転じ、北面行営右廂都指揮使を兼ねた。開運2年(945年)、寧江軍節度使に転じ、侍衛親軍歩軍都指揮使をつとめた。その年のうちに昭義軍節度・沢潞遼沁等州観察処置等使・潞州大都督府長史・検校太傅に転じ、雁門郡開国公に封じられた。赴任しないうちに、病没した。太尉の位を追贈された[1]。
家族
- 父:田簡(贈尚書右僕射)
- 子:田仁朗
- 子:田仁遇[1]