田辺敏雄
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昭和13年(1938年)東京で生まれる。東京理科大学物理学科中退、日本IBM、会社業務研究所などに勤務、昭和50年(1975年)に独立し経営コンサルタント[1]。 1986年から日中戦争や平頂山事件についての取材・研究を行う。
活動
1986年、義父[注釈 1]が戦前、満洲・撫順で起きた住民虐殺事件、平頂山事件に関係し、首謀者とみられていることを知ったことから、元兵士をはじめ日本側関係者に取材した。1988年『追跡平頂山事件』を出版[2]。
1990年、朝日新聞・本多勝一の『中国の旅』に掲載された万人坑の記事について、日本側関係者に取材、『正論』誌上で記事は誤報として批判し本多と論争となった。その結果として、万人坑に関係したとされる鉱山の関係者団体、満鉄東京撫順会と南満鉱業社友会は会員への調査を行い、1991年、朝日新聞『中国の旅』は虚偽が含まれるとして、朝日新聞へ記事の取消しと『中国の旅』廃刊を求める申し入れを行った[3]。
→詳細は「万人坑 § 論争の経過」を参照
その後も新聞報道・歴史問題について批判や検証を行っている。
著作
単著
- 田辺敏雄『追跡平頂山事件』図書出版社、1988年12月。ISBN 4-809-90131-9。
- 田辺敏雄『「朝日」に貶められた現代史―万人坑は中国の作り話だ』全貌社、1994年2月。ISBN 978-4793801358。
- 田辺敏雄『検証旧日本軍の「悪行」:歪められた歴史像を見直す』自由社、2003年1月。ISBN 4-915-23736-2。
共著
- 片岡正巳、板倉義明、田辺敏雄『間違いだらけの新聞報道』閣文社、1992年5月。ISBN 4-87619-408-4。
寄稿
『正論』
- 田辺敏雄「朝日・本多勝一記者の誤報」『正論 1990年8月号』、産業経済新聞社、1990年8月。
- ( 本多勝一「『朝日・本多勝一記者の誤報』という”誤報”」『正論 1990年9月号』、産業経済新聞社、1990年9月。本多勝一による反論)
- 田辺敏雄「重ねて言う、万人坑はなかった」『正論 1990年10月号』、産業経済新聞社、1990年10月。
- 田辺敏雄「「中国の旅」批判 ヒト捨て場「万人坑」は存在しなかった」『正論 2014年12月特別増刊号』515増刊、産業経済新聞社、2014年12月、95-109頁、NAID 40020227502。