田辺正晴
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1914年、東京府に生まれる。東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、慶應義塾大学文学部を1937年に卒業[1][2]。
府立五中時代の同級生には、英文学者、翻訳家の増野正衛がいる。
1945年の『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身番組)、1951年の『第1回NHK紅白歌合戦』、1952年の『第2回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当[3]。
だが、息子・靖雄が8歳の時、1953年に30代の若さで他界した。化粧師であった母親が靖雄を女手一つで育て上げた。
靖雄は1963年の『第14回NHK紅白歌合戦』、1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』に出場しており、親子2代揃って紅白に出演する形となった。