東京大学の渡辺武男教授の指導により、卒業論文研究で岩手県野田玉川鉱山のマンガン鉱床を扱って以来、同種の鉱床の成因の追及を続けたが、住友金属鉱山(株)に就職してからは、同様の堆積物起源とされる含銅硫化鉄鉱鉱床の成因も追及した。また地層中に含まれる炭質物が、鉱床生成時の酸化還元環境に影響を与えることを考察・議論した[2]。また当時導入され始めたEPMA(電子線微小部分分析装置)の測定値の補正計算について検討し、補正式を提案。広く日本の大学において用いられた。本人もこれを用いて、様々な鉱物の組成決定に関与し、多くの論文を発表している[3]。北海道大学教授となってからは、北海道の鉱床の調査・記載とそれらの成因についての議論を多く発表するなど、鉱床学の広い分野にわたって旺盛な研究活動を続けたことで知られている。
北海道大学退職後は、長野県佐久町に在住。2003年9月21日夜、帰宅しないことに家族が気付く。田口峠登山口付近で、使用していたスクーターが発見されたが、その後の消息は知られていない[4]。