甲州九口之道筋奉行
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概要
組織
沿革
その他
- 天正以来の武田家同心が必ずしも全員八王子に移住出来た訳ではない様子である。小田原の下堀方形居館に志村佐善が移り住んだのは、この前かこの時期である。
- この時期に街道の整備を担当していたため、八王子千人同心の千人頭が「土方の親方」と呼ばれるのは、街道整備の普請が多かったためと推察される。
- 同心は八王子移住以降も農地を支給され、戦国時代から幕末まで兵農分離以前の戦国時代の武士と変わらない半農・半武士の生活を続けた。このため、江戸時代やその後に「八王子千人同心は武士では無い」と言われた記録が残る。
- 武田家・初期徳川家の軍制による「同心」という呼称と、江戸時代の制度による「同心」という呼称が全く違うものを指すことに注意の必要がある。
- 同心は武士としては槍奉行の管轄下にあり分限帳に記載され、同時に年貢を納める農民として勘定奉行・名主の管轄下だった。名主より宗門人別改帳は農民のためのものなので、名字の記載を拒否され、千人同心と肩書された。農民との諍いを避けるために、役目以外では帯刀をしないように通達されていた。このような形にて槍奉行と勘定奉行の二重支配を受けた。
- 平同心の禄は30俵2人扶持(享保の改革前)と低くはない上、八王子に移転後も戦国時代の武士と同様に農地の所有を許可されて年貢を納めていた。
- 武田軍制では、寄親寄子制を採用していた。