甲斐鉄三郎

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甲斐 鉄三郎(かい てつさぶろう、1857年安政4年) - 1927年昭和2年)6月28日)は、明治期の海軍造船大佐。従五位勲三等功四級[1]

豊前国中津藩士甲斐理兵衛の子として、江戸汐留の屋敷で生まれる。6歳の時、一家で中津へ移ったが、旧暦明治4年(1871年)に上京し、慶應義塾へ入塾。新暦1876年(明治9年)に退塾し、東京英語学校教諭補に[2]、翌年の東京大学発足に伴い東京大学予備門教諭補を務めた。

1878年(明治11年)、横須賀造船所に転じ造船図工となり、次いで海軍省主船局雇、一等工長、五等技手を経て海軍少技師に進み、小野浜造船所製造科主幹に補せられる。これより水雷艇軍艦大島等の建造に従う。1892年(明治25年)大技師に進む。佐世保、横須賀等の造船所に勤務。三池丸の兵器改造やノーヴィック艦の引き上げに関わる。旅順工作舎長を務めた。

その後、1898年(明治31年)10月に海軍造船少監[3]、1901年(明治34年)10月に海軍造船中監[4]、1906年(明治39年)11月に海軍造船大監[5]に任じられ、1914年(大正3年)3月に退役[6]

1927年(昭和2年)6月28日に退役海軍造船大佐として死去[1]

脚注

参考文献

関連項目

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