申紀蘭

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1929-12-29) 1929年12月29日
没年月日 (2020-06-28) 2020年6月28日(90歳没)
死没地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 山西省平順県
申 紀蘭
申纪兰
2012年
生年月日 (1929-12-29) 1929年12月29日
出生地 中華民国の旗 中華民国 山西省平順県
没年月日 (2020-06-28) 2020年6月28日(90歳没)
死没地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 山西省平順県
所属政党 中国共産党
称号 全国三八紅旗手
全国労働模範
第一回全国道徳模範
子女 1男2女
当選回数 13
在任期間 1954年 - 2020年
中華人民共和国の旗 長治市人民代表委員会副主任
在任期間 1983年 - 1993年
中華人民共和国の旗 山西省婦女連合会主任
在任期間 1973年 - 1983年
在任期間 不明 - 不明
テンプレートを表示
申 紀蘭
各種表記
繁体字 申紀蘭
簡体字 申纪兰
拼音 Shēn Jìlán
英語名 Shen Jilan
テンプレートを表示

申 紀蘭(しん きらん、1929年12月29日 - 2020年6月28日[1])は、中華人民共和国の政治家、全国人民代表大会代表(13期)。第一回の全国人民代表大会から連続13回も代表に選出されていたため、「中国民主制度の生きた化石」として知られている[2][3]

1929年12月、山西省平順県に生まれた。

1950年、互助組に参加。その後、模範労働者の李順達と共同で「西溝金星農林牧生産合作社」を創設、副社長に就任。

1953年、中国共産党に入党、「全国労働模範」称号を獲得。同年4月、全国婦女代表に選ばれ、第二回全国婦女代表大会に出席した。5月19日、中国婦女代表団の一員として、コペンハーゲン首都デンマークで行われた世界婦女大会に出席した。

1973年、山西省婦女連合会主任に任命された。

1983年、長治市人民代表委員会副主任に当選[4]

2020年6月28日、死去[5]。90歳没。

発言

55年間私は共産党を擁護していました。人民代表は党の指示を聞くのは当たり前で、私は反対票を投じたことはありません。(中国語:55年来我非常拥护共产党,当代表就是要听党的话,我从来没有投过反对票。[6]
有権者との)交流はありません。我々は民主的な選挙により選出されたので、(選挙期間に有権者と)交流することはよくないんです。あなたを選ぶ意向がないなら、わざと人におちょっかいを出してはいけません。(中国語:没有。我们这是靠民主选举的,你交流就不合适,不选你,你就不要去“各”(麻烦)人。[7]
年金がもらえるのは社会主義国家しかありません。とてもうれしいです。(中国語:能得到养老保险金,只有社会主义国家才能做到这一点,我感到非常高兴。[8]
私はこういう考えがあります。インターネットも管理される必要があり、だれでも自由に使うわけではありません。我々はルールに従ってしないと、良いことも悪くなるので、言いたいことだけを言うのはいけません。我が国は共産党の指導に基づく社会主義国家であり、インターネットに自由にアクセスできるのはあり得ません。組織から許可を受けなければなりません。(中国語:我有个想法,网也应该有人管,不是谁想弄就能弄,咱要按照原则去弄,不要好的弄成坏的了,想说什么就说什么,咱是共产党领导下的社会主义国家。这个网,你谁想上就能上?还是要组织批准呢?[9]

家族

夫との間に子女がいないため、兄弟の子など3人を養子にした[10][11]

  • 長女:邯鄲市にある軍医院の主任医師[4]
  • 長男:長治市粮食局党委書記、元『長治日報』紀検組長[4]
  • 次女:長治市市政工程処の職員[4]

称号・受賞

関連項目

脚注

Related Articles

Wikiwand AI