畠山一清
荏原製作所の創立者
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来歴
1881年(明治14年)、金沢で能登の守護大名・能登畠山氏の血筋を引く家系に生まれる。東京帝国大学機械工学科を卒業後、1912年に恩師の井口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。1920年(大正9年)にはポンプ販売の事業を発展させて荏原製作所を設立した。
畠山の発明は渦巻ポンプにとどまらず、発電用車、送風機、水中モーターポンプなど数十種の製品に及ぶ[2]。
第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)7月29日に貴族院議員(勅選議員)となり[3]、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた[1]。 1953年(昭和28年)5月11日、藍綬褒章を授与された発明功労者18人とともに皇居にあがり、代表者として昭和天皇に挨拶を行った[4]。
また後に発明協会の会長を務め、恩賜発明賞の別称「畠山一清賞」に名前を残している。「即翁」の号を持つ数寄者としても知られており、益田鈍翁らと交流を持った。自身の収集した茶道具や東洋の古美術品を広く一般に公開するために、1964年(昭和39年)東京都港区の私邸内に畠山記念館(現:荏原 畠山美術館)を開設した。