番匠棟上槌打
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無魔成就の儀式
伝承
戦国時代、京都、京都御所の在する陰陽師が迫害を受けるなか、戦国武将の築城などに番匠は重用され、番匠棟上槌打の儀式が、陰陽道、家相の伝承に繋がる[2] 戦国時代の迫害は、本流の土御門家であっても陰陽道の相伝や法具を喪失し、[4]陰陽道の最も重要な「大法」である泰山府君祭の祭壇を、京都吉田神社などから借用して京都御所の地鎮祭を行うようになり、神道色を著しく濃くすることになり[4] 現代の上棟式や地鎮祭なども、本来の仏教儀式から神道儀式に変化し現代の建築儀式に取り入れられていると家相を研究する小池康寿が著書で論じる。[5]
民間への伝承は、国家に仕えた者以上の陰陽師が地方に分散し、声聞師(だましもの)として活動し、[6]全国各地で小正月に行われる左義長という火祭りも声聞師の影響が大きく、明治政府の神仏分離令により、暦、家相は禁止されることになるが、[6]番匠棟上槌打も同様、特に江戸時代、数多くの流派、儀式で混乱する。[6]しかし本流の儀式を保存するため、1968年(昭和43年)、番匠保存会が設立され、奈良興福寺の番匠棟上槌打が復活した。[2]