長崎県出身[2]。 駒澤大学の日本空手協会 (JKA)のプロモーションビデオを見た3年後の1956年に空手を学び始めた。1962年、彼はJKAの形と組手両方のチャンピオンシップを獲得し[3]そ「グランドチャンピオン」の称号を獲得したチャンピオンの一人となった。
加瀬泰治 、金澤弘和、榎枝慶之輔と共に空手を世界に広め 、ヨーロッパ、南アフリカ、アメリカに渡った後、1965年にイタリアのミラノに定住した[4] 彼の指導の下でイタリアの空手は繁栄し、多くの称号が彼の学生にもたらす [要出典]
2024年10月9日、ミラノの自宅で死去[5]。