白杉政愛

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白杉 政愛(しらすぎ まさちか/せいあい、天保14年3月29日(1843年4月28日) – 大正10年(1921年4月18日)は、日本陸軍軍人実業家。旧熊本藩士。従六位日本鉄道取締役、日出銀行取締役、横浜電気取締役、九州水力電気鬼怒川水力電気などの監査役・重役を務め、日本の鉄道史・電力事業史に名を残した[1]

白杉政愛は、旧熊本藩士天野管十郎の二男として天保14年(1843年)3月29日に生まれた。安政4年(1857年)5月、白杉松涛の養子となり、のちに家督を相続した。幼少より藩校で学び、藩士として出仕し、藩兵組織において物頭を務めた。

明治維新後は陸軍少尉補に任官、佐賀の乱に従軍して功を挙げた。その後昇進し陸軍少佐となり、熊本鎮台に勤務したが、明治9年(1876年)に退官。以後は産業・鉄道界に転じ、実業家として活動した[2]

鉄道・実業界での活動

明治13年(1880年)、東京に出て日本鉄道創立に参画し、翌年理事委員、翌15年に幹事となった。のちに庶務・運輸・会計各課長を兼務し、明治25年に倉庫課長、明治27年に会計課長に就任。明治31年4月には理事委員に進み、明治33年(1900年)11月には房総鉄道取締役社長となった。[3]

また、箱根水力電気の社長として、日本で最初に送電線鉄塔を使用して成功させた。ほかに横浜電気、鬼怒川水力電気九州水力電気、肥後酒精などの重役・監査役を歴任した[4]

軍歴と逸話

家族

脚注

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