白杉は熊本鎮台少佐時代、西郷隆盛と通じた兵士らが大隊長奥保鞏および白杉自身を襲撃しようとした陰謀を未然に察知し、首謀者を拘束した逸話が残る。これにより大功を挙げたが、薩摩・長州出身者以外は昇進が困難であった当時の軍人社会にあって、中佐以上に進めず退官を決意したという。
西南戦争では熊本城が包囲され、白杉の妻・澤は子女とともに避難したが、西郷軍に捕らえられて尋問を受け、後に釈放された。この時に捕縛された長男・白杉次郎太郎はのちに鉄道院経理部勅任事務官となり、経理部長図師民嘉に可愛がられた。次郎太郎はその恩義により、図師の死後20年間、毎月墓参を続けたと伝えられる。
政愛は大正10年(1921年)4月18日に死去。享年79。