白沙 (特設測量艦)
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| 船歴 | |
|---|---|
| 建造所 | ウィリアム・グレイ社[1] |
| 起工 | |
| 進水 | |
| 竣工 | 1914年 |
| 最後 | 1945年6月8日被雷沈没 |
| 主要目 | |
| 総トン数 | 3,841トン[1] |
| 純トン数 | |
| 載貨重量 | |
| 排水量 | 6,800トン[2] |
| 登録長 | |
| 型幅 | |
| 登録深 | |
| 機関 | レシプロ機関 1基[1] |
| 出力 | 1,830馬力[2] |
| 速力 | 11.4ノット[1] |
| 乗員 | 軍人165人、測量班軍属168人(特設測量艦時)[3] |
| 兵装 | 8cm砲×2(特設測量艦時)[2] |
| 同型船 | |
| 備考 | 旧船名「福星」 |
白沙(はくさ)は、日本海軍が運用した特設測量艦。日中戦争中に鹵獲した中国税関監視船「福星」(フーシン、Fushing)を改装したもので、日本海軍の測量艦船としては最大で最も設備が充実していた。太平洋戦争中の1944年に特設工作艦へ再改装され、翌年には特設運送船に転籍したが、アメリカ海軍潜水艦により撃沈された。
1914年(大正3年)に、イギリスのウィリアム・グレイ・アンド・カンパニー(en)造船所で建造された[1]。その後、中華民国の税関監視船として改装されて「福星」の船名で広東省方面で密輸取り締まりに従事していた。税関監視船時代には、第2船倉と上甲板に45フィート(約13.7m)級の高速艇(後記参照)数隻を搭載しており、その揚収用として船橋前の両舷に張り出すように大型のクレーンが設置されていた[4]。
日中戦争中に日本海軍によって鹵獲され、1938年(昭和13年)に横須賀海軍工廠で改装を受けて特設測量艦となった[5]。日中戦争後の帰属が未定で確定的な戦利艦ではなかったため、正規艦船ではなく臨時の特設艦船の取り扱いになっている[3]。九〇式測深儀一型1組をはじめとする測深儀5組など測量機器が装備されたほか、税関監視船時代の高速艇搭載設備を流用して、装載艇として10m測量艇8隻と艦載内火艇が搭載された[3]。排水量約7000トンは日本海軍の測量艦船として最大で、測量設備も最も充実していた[3]。同じく特設測量艦である「第三十六共同丸」(阿波国共同汽船:1499総トン)とともに、中国中南部沿岸の測量に大きく貢献した[5]。
太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)5月1日付で特設工作艦になり[1]、再び大規模な改装工事を受けた上、シンガポール(当時の日本名:昭南)に進出した[4]。翌1945年(昭和20年)3月10日にはさらに特設運送船に転籍した[1]。
1945年6月8日、インドシナ半島沖北緯08度56分 東経105度37分 / 北緯8.933度 東経105.617度の地点でアメリカ潜水艦「コビア」の魚雷攻撃により沈没した[6]。