白浜ゴルフ倶楽部

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開業 1956年昭和31年)8月14日
運営 メンバーシップコース
設計 佐藤 儀一、松山 桂司
白浜ゴルフ倶楽部
Shirahama Golf Club
白浜ゴルフ倶楽部
白浜ゴルフ倶楽部の空中写真。
2019年10月5日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
和歌山県西牟婁郡白浜町2927-1
座標: 北緯33度40分17.81秒 東経135度20分37.02秒 / 北緯33.6716139度 東経135.3436167度 / 33.6716139; 135.3436167
概要
開業 1956年昭和31年)8月14日
運営 メンバーシップコース
設計 佐藤 儀一、松山 桂司
運営者 白浜開発 株式会社
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4395 1 4325
2 4380 2 4290
3 3175 3 4350
4 5490 4 4285
5 4430 5 5490
6 4140 6 3220
7 5485 7 4380
8 3185 8 5480
9 4480 9 3130
363160 362950

その他
公式サイト 白浜ゴルフ倶楽部
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白浜ゴルフ倶楽部(しらはまゴルフくらぶ)は、和歌山県西牟婁郡白浜町にあるゴルフ場である。

リゾート地の白浜にゴルフコースがないのはおかしいと、戦前、ゴルフ場を計画した人がいた、1930年昭和5年)頃の上山勘太郎下村海南であり、1937年(昭和12年)頃の南海電気鉄道株式会社・寺田勘吉だったが、いずれも戦争で挫折した[1]1953年(昭和28年)頃、関西のゴルフファンは、年に1度、「川奈ホテルゴルフコース」(1928年(昭和5年)開場、設計・大谷光明C・H・アリソン)でプレーしていた[1]。やがて、「関西の川奈を造るとすれば、それは白浜だ」と言い出したのが和歌山製塩・田中一也だった[1]

田中一也は寺田勘吉に相談したところ、「白浜にゴルフコースは是非必要」と賛成し、ゴルフ場用地は和歌山県営種畜場の平平原がよいと助言した[1]和歌山県知事小野真次も、ゴルフ場計画に積極的で発起人代表になった[1]。コース用地は、平草原の18万坪である、一部が開拓農地で転用問題が発生したが、社会党代議士・辻原弘市の裏技で切り抜けた[1]

建設資金の調達でも応援があった、和歌山財界だけでなく大阪財界も応援した[1]1955年(昭和30年)10月13日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「白浜開発株式会社」が設立された[1]。コース設計は、日本アマチュアゴルフ選手権競技に4勝した佐藤儀一に依頼、助手に松山桂司が参加した[1]

1956年(昭和31年)5月、造成工事は完成、同年7月15日、コースは仮オープンされ、同年8月14日、開場された[1]。コースの特徴は、佐藤の持論である狭いフェアウェイと小さな砲台グリーンではなく、例外のリゾートらしく、箱庭的に美しいコースが造られた[1]。その後、松山桂司の設計によりコースは改造され、5,800ヤード、パー70から6,110ヤード、パー72のコースに作り替えられた[1]

ゴルフ場全体の面積は約50万平方メートルで、その約8割(40万7572平方メートル)は町有地である[2]

2022年7月25日に白浜開発は民事再生法の適用を申請したが、わたらせ温泉(堺市)の支援を受けることが決定し、ゴルフ場の営業を継続しながら再建を目指すことになった[2]

所在地

〒649-2211 和歌山県西牟婁郡白浜町2927-1

コース情報

  • 開場日 - 1956年8月14日
  • 設計者 - 佐藤 儀一、松山 桂司
  • 面積 - 590,000m2(約17.8万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,110ヤード、コースレート68.3
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、コウライ
  • ハザード ^ バンカー100、池が絡むホール4
  • ラウンドスタイル - 全組セルフプレー、乗用カートセルフプレー
  • 練習場 - 無し
  • 休場日 - 無休[3][4]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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