佐藤功一は、1912年(明治45年)に新設された早稲田大学理工学部建築学部の主任教授である。佐藤は毎年夏休み、避暑のために葉山近郊の民家の座敷を借りていた。彼は同地の漁家の図面を取り、弟子である今和次郎に民家の調査会を結成することを提案した。当時、建築学において民家はほとんど注目されていなかった。同時期である1910年(明治43年)、柳田國男と新渡戸稲造は「郷土」の研究会である郷土会を設立し、民俗学的な見地からの民家研究の端緒を開いていた。佐藤は柳田と連絡を取り、白茅会を設立した。「白茅会」という組織名は内田魯庵の発案であり、草葺き屋根に使われる茅が風化すると白くなることにちなんでいる。同会には佐藤・柳田・今・内田のほかに、大熊喜邦・木子幸三郎・田村鎮・石黒忠篤・細川護立が参与した[1]。
白茅会のメンバーは埼玉、神奈川および東京・多摩地区の農山村を歩き回り、民家の記録を行った[1]。また、この成果として『民家図集・埼玉県の部』および『神奈川県津久井郡内郷村の調査』が刊行された。しかし、佐藤が病に倒れたことなどもあり、設立からまもなく同会は自然解消した[1]。