百人おどし
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実験内容
ライデン瓶の発明以後、見世物としてヨーロッパ各地で行われた[1]。日本では、江戸時代に橋本宗吉が書き残した『阿蘭陀始制エレキテル究理原』で図入りで詳しく記録を残している[3]。その後、日本では1980年代に米村でんじろうが都立高校の教師時代に理科の授業で取り入れ、米村がテレビ出演やサイエンスショーの際に紹介して再び広く認知されるようになった[4]。
まず、ライデン瓶に静電気を蓄える。被験者は全員並んで手をつないで輪をつくる。両端のものが、それぞれライデン瓶の電極に触れると全員に静電気が流れる。ライデン瓶としてプラスチックコップ2個にアルミ箔を巻きつけて、これらを重ねることで、比較的安価に作成することもできる。
歴史
18世紀ヨーロッパ
1746年にライデン瓶の発明以後、見世物としてヨーロッパ各地で行われた[1]。例えば、フランスの牧師ジャン・ノレは180人の兵士に手をつながせて、国王の前で演示実験したといわれている[1]。
橋本宗吉の百人おどし
江戸時代の蘭学者である橋本宗吉が『阿蘭陀始制エレキテル究理原』を著した[5]。この本は、静電気の原理、エレキテルの構造、エレキテル(摩擦起電器)を使った静電気の実験について記述されたものである[5][注釈 1]。この中に、橋本宗吉の行った「百人おどし」の実験が記述されている[5][6]。ここには、寺子屋に通っていた子供たち100人余りに手をつながせて輪をつくり、障子越しのライデン瓶に触れさせて感電させる実験が絵入りで紹介されている[6][注釈 2]。
宇田川榕菴の記述

宇田川榕菴は、大垣藩の藩医の子として生まれ、後に津山藩の江戸詰の藩医であった宇田川家に養子としては入った人物である[8]。
『舎密開宗(ぜいみかいそう)』の中で、ボルタ電池を紹介している[9]。この執筆にあたり、数多くの手稿が存在するが、電気については『瓦爾華尼越列機的造作記(がるはにえれきてるぞうさき)』、『瓦爾華尼越列機集説』として残っている[9]。『瓦爾華尼越列機的造作記』はボルタ電池の製作記録であり、『瓦爾華尼越列機集説』はその利用法である[9]。
この中で、ボルタ電池の両端を湿った手で触れれば、強いショックを感ずること、数人が手をつなぎ、両端の人が電池のそれぞれの端を持てば、全員がショックを感じること、しかしその場合は一人の時より弱いことなどが書かれている[9]。
