皇帝官房第三部
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概要
任務
1826年、アレクサンドル・ベンケンドルフ伯爵が初代長官に就任する。ベンケンドルフは、アレクサンドル1世の生前にデカブリストの危険性について指摘しようとしていた。デカブリストの乱を鎮圧したニコライ1世は、ベンケンドルフに秘密警察の長官たるにふさわしい人物像を見出した。ベンケンドルフは憲兵隊司令官を兼務した(憲兵隊と第三部憲兵隊担当部門の正式合同は1839年)。ベンケンドルフは、第三部をして臣民に信頼され尊敬されうる「道徳的な医者」であることを期待した。当初、憲兵隊はその青と白の制服から「青い大天使」と呼ばれた。
確かに第三部と憲兵隊は法秩序の維持において一般警察よりはるかに効率的であった。しかし、第三部はロシア帝国全土にわたり国民を監視・抑圧していったため、時と共にその悪名は高まり、「ヨーロッパの憲兵」を以って任ずるニコライ1世の反動政治の代名詞ともなっていった。
検閲
第三部及び憲兵隊は、出版や新聞発行・演劇に対しても自由主義思想の抑圧の観点から厳格な検閲を適用していった。検閲によって3つの定期刊行物が発禁となったほか、その他の出版物も編集段階で改変を余儀なくされた。これにより、当時、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ツルゲーネフらの登場によって勃興しようとしていたロシア文学も抑圧の対象となり、作家たちは第三部によって監視・事前検閲を受け、内容が当局にとってふさわしくないと見なされれば、最悪の場合は流刑(例、ドストエフスキー)の場合もあり得た。
検閲に当たっては、共和主義から穏健な立憲君主制に対しても、「危険な」西欧流の自由主義思想とみなされ攻撃された。ニコライ1世の抑圧的な態度は専制の維持という観点から徹底したものであり、皇帝は第三部の報告を隅々まで読み、細かな事項に至るまで自ら指示を与えた。
廃止
歴代長官
- アレクサンドル・ベンケンドルフ伯爵 Count Alexander Khristoforovich Benkendorf (在任:1826年-1844年)
- アレクセイ・フョードロヴィッチ・オルロフ伯爵 Count Alexey Fyodorovich Orlov (1844年 - 1856年)
- ヴァシーリー・アンドレエヴィチ・ドルゴルーコフ公爵 Prince Vasily Andreyevich Dolgorukov (1856年 - 1866年)
- ピョートル・アンドレーエヴィチ・シュヴァーロフ伯爵 Count Pyotr Andreyevich Shuvalov (1866年 - 1874年)
- アレクサンドル・ポタポフ Alexander Lvovich Potapov (1874年 - 1876年)
- ニコライ・メゼンツェフ Nikolay Vladimirovich Mezentsev (1876年 - 1878年)
- アレクサンドル・ドレンテルン Alexander Romanovich Drenteln (1878年 - 1880年)